きがつけば9月も最終日。発表会の準備期間に入り、日々業務に追われ、記事の公開が遅延中です(^^ゞ
先日、夫と話していて、ふと口に出た「秋はおセンチになるよ」。
「おセンチ」という言葉は、今は使われなくなったようですね。レッスンに来ている中学生に知っているか聞いたら「わからない」と…。
もともとセンチメンタルを省略した言葉と認識しているので、「秋は感傷的な季節」ということを伝えるために使ってみたのですが、言葉というのは時代とともに、進化、変化、流行するものですね。最近の若者ことばは、どんな傾向にあるのでしょうか?
「やばっ」とか「やばい」はよく耳にしますが、自分はあまり使いません。でも語尾に「~みたいな」をつけるのは、たまに無意識に使っているときもあり、語尾を濁すのに使い勝手が良さそうです。
言葉はその人の内面性を映す鏡でもあり、ラジオやテレビで女性が「食べる」を「食う」と言っていたりするのは老婆心ながら「ちょっと引く~」(笑)
読書調査で一ヶ月に一冊も本を読まない人が6割とのニュースがありましたが、文章は作家の人たちが推敲をかさね、生み落とした創造物で、これは音楽とも通ずるものであると思います。本を手にとり、その感触を感じながら、美しい言葉と出会うのは、私的には、楽しみの一つです。今読んでいるのは、三浦しをんさんの『風が強くふいている』。作家を目指したある人が、三浦さんの、優れた文章力に圧倒されて夢を断念させられたという記事を見て、読み始めましたが、心を揺らす言葉との出会いが確かにたくさんあります。
「読書の秋」ですので、今一度、日本の誇る文豪の美しい言葉に綴られた文学に親しみたいとも思っています。もう一度読み返したい本は、夏目漱石の『我が輩は猫である』なのである。
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